中1の時不登校だった息子は2年生からは通い始め、この春、無事中学を卒業しました。
不登校の期間は半年程で今思えばさほど長い期間ではないのですが、その真っ只中では本当に不安でした。私の育て方が悪かったの、、、甘やかしすぎ、、、このままいつまでも続いたら、、、
先の見えない不安でいっぱいでした。
そういえばそんなことがあったねぇーと今では遠い昔の話となりましたが、少し思い出して書いてみようと思います。
もくじ
◆原因不明の不登校
息子は中1の2学期からお腹が痛いとトイレにこもる時間が増え、だんだん出てこなくなり、3学期からは全く学校へ行かなくなりました。
毎朝お腹が痛いとトイレにこもり、私が仕事に行く時間になっても出てきません。しかたがないので学校に遅刻の連絡をして、子供には学校へ行くようにトイレのドア越しに告げて仕事に行きました。
それが最初遅刻しながらも行っていたのが、だんだんとそれさえもしなくなりました。私がいると学校は?と言われるのでトイレにこもり、いない時はTVなどみてたようです。
先生に聞いてもいじめられている様子はないといい、友達も時々電話をくれます。勉強や宿題が嫌なくらいでさほど大きな問題はなさそうなんです。
多少嫌なことはあるかもしれませんが少しは我慢も必要、甘えさせてはいけないと頑張って学校へ行かせようとしました。
説得したり、叱ったり、なだめ、すかし、切れて、脅し、脅し、 脅し、、、
今にして思えば本当にトホホな対応でした。
案の定、言えば言うほどトイレにこもります。そうですよね、責められるんですから会いたくないですよ。私に会いたくなくて、私が帰ってくるとバタバターッとトイレに駆け込む。
ちなみに何故トイレかというと、うちは畳だらけの古家で、鍵のかかるのがトイレだけなんです。
学校のある日中は私を避けてトイレ、夕方になると私も学校へ行けとは言わないので、居間に出てきて顔がほっとするのがよくわかりました。
そこで言わなきゃよいものを、また私がいらん一言「そんなに元気なら明日は学校いけるね」なんて口にしてしまいます。それでほどけ始めた息子はまた固まって、、、そんなぎくしゃくな毎日。
言いたいけれど言えば引きこもるし、言わないとこのままだらだらしてるばかりだし、、、困ったと思いながらどうにもできずに、時にわたしがぶち切れて、時に腫れ物に触るように、情けない対応のまま日ばかり過ぎていきました。
◆学校へ行けというのをやめてみる
そんな日々が続き、このやり方じゃダメだとようやく私もいろいろと考えるようになってきて、まずは学校へ行けと言うのをやめてみました。ほとほと言うのに疲れてたのもあります。
そうするともう本当にすぐです。息子の様子が変わりました。ずいぶん気持ちが楽になったようで、トイレに通うこともだんだんと少なくなって行きました。
お腹が痛いのは仮病ではないようで、本当に痛かったみたいなのですが、心が安定してくるとそれも無くなってきました。私から逃げる理由もなくなり少しずつ会話も戻ってきました。
学校へ行けと言うのをやめて仕事をセーブして、もうもう開き直って一緒に遊びました!
幼稚園に入る前のように。
今日何する?海いこっか?クッキー作る?
開き直って楽しんだら本当にすごく楽しくなってきました。
そうやって自分からは通うことなく1年生の3学期が終わり春休みになりました。
周りはいろいろ言います。心配してくれてのことですが、一緒に遊んでいる私に対し甘すぎるとか、無理してでも行かせた方がいいとか、先生だけでなくもっと別のところへ相談に行った方がいいとか、、、いろいろです。
でもその頃の私はというと、、、いろいろ悩んで考えてきた結果、結構腹が座ってました。
学校行かないで勉強したっていいし、高卒資格や大学受験資格は学校に行ってなくても取る方法はあります。フリースクールを探して行ってもいいじゃない。孤立しなければ別に構わないんじゃないかと、心の底から思うようになっていました。
逆にちょっと回り道をしてユニークな人間になるんじゃないかと、面白く感じ始めてさえいたんです。
◆学校へ戻る
ところが、、、
新学期を迎える少し前、「2年生から学校行く、休むの飽きた」と言ったかと思うと、それ以来普通に通いはじめました!
えーーー‼ なんで‼
今までのは何だったの‼
覚悟を決めた私の気持ちはどこへ、、、
今思いだしてもあれはなんだったんでしょう。本人ははっきりとした理由があったのか、なんとなくだったのか。これが思春期というものなのか。
でも本当は全く心当たりがないわけではないのです。直接の原因はわかりませんが、これもこれもこれも関係してるというのはあります。
◆不登校の原因
あくまでもうちの息子の場合です。真相はわかりませんが、私の感じる範囲で。
時間に追われるストレス
息子はものすごくマイペースです。本好きですが読むのがすごく遅くて、ゆっくり何度も戻りながら噛みしめるように理解しながら読みます。勉強でも一度にワーッと説明されると頭が混乱してしまい、わかっていたことまでわからなくなってしまいます。
そんなじっくりタイプの子なので、中学に入り、部活もはじまり、宿題もたくさん出て、友達の中で空気も読んで、、、そんな中学生活にかなり無理していたのかもしれません。
体調不良
小学生の頃ひどく体調を崩していて徐々によくはなりましたが常に体の不安を抱えていました。学校もよく休みましたので親子ともに休むということに抵抗がなくなっていました。そのせいで体調を理由に嫌なことから逃げるという悪いクセがついてしまったかもしれません。
引っ越しと寂しさ
不登校の原因としてよくいろんなところに書いてあるのが、かまってほしい、愛されたい、ということです。
うちの場合小6で関東から九州へ引っ越しました。引越しは子供にとって大きなショッキングな出来事でした。私も新しい環境で暮らしを整えるのに必死でした。仕事もはじめて新しい人間関係を築くのに必死で子供を見ていなかったと今になって思います。
表立ってはなくてもいじめられたとか、人間関係がうまくいかないとかも少しはあったのかもしれません。子供から大人へとかわる思春期のもやもやした不安もあったのでしょうか。
そんないろーんなことがごっちゃごちゃに混ざって、なんとなく体調がすぐれなくて、学校を休んだらとっても楽だった、毎日迷うけど楽な方に逃げてしまう、そんな感じなんじゃないかな、、、と勝手に推測しています。
◆学校へ行かなければダメなのか
どうしても学校って行かなければいけないんでしょうか?
今の日本の学校教育で学ぶものもあるし、学べないものもあります。私自身、規則や行事で身動き取れない学校があまり得意ではなくて、緊張を強いられる場所でした。
ただ一通りのカリキュラムがあるので体系的に勉強をしやすい場所ではあるし、いけばそれなりに勉強も運動も友達関係も学びやすい場所ではあります。
けれど前の方でも書きましたが、それ以外でも人生の築き方はいろいろあるわけで、学校へ行かない即世界の終わりではないわけです。
なのにどうして親は学校へ行かなくなるとこんなに焦るのか。
今思えば子供のためというより、自分の不安を解消するため、社会の流れに沿っているという安心を欲しいためなんじゃなかったかと思います。
もちろん子供の将来を案じてのことなのですが、ものすごく狭い自分の今までやってきた範疇でしか考えられないでいました。
◆学校へ行くより大事なことは
はじめはなんとか学校へ行かせようと必死だったわたしですが、子供の不登校に付き合いながら段々と、少しずつ頭が柔らかくなってきたのかもしれません。
今一番息子にとって大事なのは何なのか?
学校へ行くこと?
親のいう通りにすること?
わたしのできることは?
何を大事にすればいいのか?
結局親は子供に幸せなって欲しいのです。勉強をするのも習い事をするのも、それが幸せや安心につながると思うからです。
突き詰めれば幸せならそれでいいんです。
◆幸せの定義
じゃ幸せってなんだ?、、、なんですけど
何に喜びを感じるか幸せと思うかは人それぞれです。
突き詰めていけば人間の基本的欲求が満たされるとか、まわりに人がいるとか必要とされるとか、、、そういったところに落ち着いていくのかなと思うのですが、
そのためには人生をどう生きていくか、どういった仕事を選んでいくのかを決めないといけません。
まあ学校の勉強をしといて損はないですけど、人生における幸せの作り方は千差万別です。
じゃあどうやってその幸せを決めるかといえば、それは親でも先生でもない自分です。
自分にとっての幸せを決められるのは自分にしかできない事です。
◆親の役割は
では自分の幸せを見つけるという人生の目標に向かう子供に対して親は何ができるのか?
不登校が始まってどうしていいかわからない頃、わたしは息子の敵でした。追い詰めて、問い詰めて、非難する敵でした。
理由はなんにせよ嫌で行かれない学校から逃げてきて、家に入ったらそこにも敵!
子供にとって家に居づらいということは生きていく場所がないということです。
親は敵になってはいけないんじゃないでしょうか。少なくとも家だけはホッと休める、身を隠せるシェルターでないとダメなんじゃないかと思います。
幸せは自分で見つけるしかない。だから親は手出しはできない、それは子供自身の仕事です。
乞われれば手伝いはするけれどこちらがレールを敷くものではないです。してはいけないです多分。
でもいつも味方でいる。一番の応援者でいることはできます。
困った時差し出すものはないかもしれないけれど、大丈夫なんとかなるからと見守っていられる存在にはなれると思うんです。
安心して親の羽の下で休んだらまた旅立っていける、そんな場所でありたいと思います。
◆人生始まったばかり
人生なんて終わりまで成功かどうかなんてわかりません。そもそも神さまの目から見たら成功や失敗なんてものさえないのかもしれません。
子供は自分の中に可能性の種をたくさん持っています。それを選び育てていくのは自分です。少しはお手伝いができれば嬉しいとは思いますが、それも本人の希望とやる気があってこそ、あくまで本人次第です。
親にできることは実はしれているなぁと思います。けれど親にしかできないことも多いなぁとも思います。
ご飯を食べさせ、身の回りを整え、学校へ行かせて、、、
でも何より大事なのはでしゃばらず温かく見守るのが一番というのが今の私の思いです。
これで息子の不登校の話は終わりです。ここまで読んでくださった方、長々とおつきあいくださりありがとうございました。いじめが原因だったり、もっともっと大変なご家庭も多いと思います。何もお役に立てなかったら申し訳ありません。
うちにしたところでまだ中高生の現役子育て中で、また何か問題が起こるかもしれません。その時は今回と同じようには解決しないかもしれない。でもその時、私がぶれずにゆったりと受け止められる存在でいられるよう、毎日心して生きていこうと思います。
◆原因がわかった! (追記 2017.6)
先日、息子と話していて、当時の不登校の理由がわかりました!
私の思っていたのとそんなに大きくずれてはいなかったけれど、中学生、大変だなぁと思ったので、ここに書いておきます。
現在息子は高校2年生で田舎の普通校に通っています。そこは本当に穏やかな学校で、PTAの帰りに部活をのぞいていたりすると、知らない子が「こんにちわー」と気軽に声をかけてくれるような学校です。
息子もこの学校が大好きでとってものびのびしています。先生の話や友達の話などよくしてくれます。そうなんです、中学の時とは比べものにならないくらい息子、饒舌なんです!
そしてこの間、人間がいい子の多い中学校ランキングの話をしていて、「1番は◯◯中学校 (注 田舎のさらに田舎の交通の便の悪いど田舎の中学です) 奴らはみんな天使、付き合ってる俺もだいぶいい人になってきた」だそうです。
「2番は◯◯中学校 、3番は◯◯中学、、、」
それで出身中は?と聞くと、
「ガラ悪い、奴らキモ!ウザ!ばっかりや」
だそうです。
もう少し具体的に例えばどんな感じ?と聞くと
一つミスをすると(例えば空気を読まない発言とか)、ずっとそれでいじられるので、常に気が抜けなかったらしいのです。
、、、そんなのぜんぜん知らなかった。
はじめからそんな噂のある学校ならいざ知らず、特別悪くもない普通の学校です。なのに、、、
まあ、みんながみんなってわけでもないのでしょうが、それが許される空気が教室にあって、多分息子だけでなくみんなが常に、いじられる、からかわれる、標的になる緊張感で気を張っていたんでしょう。
投げられたボールを常に上手く返さないといけない、できれば気の利いたボールを、、、運動神経の鈍い息子にとってそんな大変さだったんじゃないかと思います。
そう言えば当時息子だけでなく、各クラス2、3人不登校児がいました。
そしてそれはいじめと呼ぶほどの大きなものではないので、先生も親も気づかず、、、
これなんですね、きっと理由は
どんないじめも、大きな事件も、こんな空気がうずまくなかから生まれるんでしょう。
どうしたらいいのかを語るほど知識はないのですが、子を持つ母として気になる話です。
そして娘は今その中学の2年生、もしかしたら同じ緊張感をしいられながら日々を過ごしているのかと思うとヒヤヒヤします。
もちろんこれは被害者としてだけでなく、うちの子もその空気を作っている一人なのです。
うまい対処法はわかりませんが、緊張のほぐれる心休まる家でリセット出来れば、また次の日も頑張れると思って、美味しいご飯を作ったり話を聞いたり、、、そんな毎日の暮らしを頑張ろうと思います。
息子高校生になりました。学校は行ってますがやっぱりいろいろとあります。こちらからどうぞ
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こちらは心に沁みる保健の先生のお話です。ぜひどうぞ
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