ゴフスタインを初めて知ったのは「ブルッキーのひつじ」という絵本。20数年前、当時住んでいた仙台にあるおもちゃと絵本のお店「横田や」さんで、ばったり出会いました。「横田や」さんは古民家をそのまま本屋さんにしていて、懐かしくほっとするお店です。ふらっと立ち寄ると、何かしら心惹かれる絵本に出会えました。そんな中でもゴフスタインの本は特別です。どの本も本当に素敵で、ひとつひとつが宝物のよう。そんな中から迷いましたが、今回は「ゴールディーのお人形」です。
ゴールディーのお人形
両親が残した人形をつくる仕事を続けながら、ひとりで暮らす女の子ゴールディーは、それはそれは丁寧に大切に人形を作ります。
木のかたまりの中にうまっている人形の新しい顔を彫り出そうと、心をこめて仕事をします。四角く切られた木っ端ではなく、森で拾い集めた枝を使って手足を作ります。それじゃないと「生きている」感じがしないからです。
ゴールディーはずっと人形のことを考えています。その間にベッドに入り、また起きて人形をつくり、途中でパンを食べお茶を飲み、また仕事を続けます。人形がすてきに見えて、手に持った時にもあたたかく、心地よく、優しい感じになるまで作業を続けます。
そんなある日、お気に入りのお店で、ゴールディーは今までに見たこともないほど美しい中国製のランプを見つけました。とても高価なものですが、心をうばわれたゴールディーは、人形18個分と引き換えにランプを手に入れることにしました。ミスター・ソロモンがおまけをしてくれたのです。
しかし、友だちのオームスにあきれられたゴールディーは、このランプを返すことにしました。そして、、、
ゴールディーにとって人形を作るということ、ものを作るということは、そのまま生きるということ、彼女が彼女であること、彼女のすべて。
そんな彼女がした一世一代の買い物、分不相応な高価なランプ。その金額の高低をはかることは、彼女の生き方をお金ではかることと同じです。
ものの値段とはもしかしたら、その値段で買い物をする自分の値段なのかもしれません。ゴールディーにとってランプは自分自身。お金ではかるものではないのです。だから彼女はこう言います。
「安くしてもらわないで、全額払えばよかった。だって、これは私が生まれてから今までに見た、いちばん美しいものなんだもの。」
まけてもらっても彼女の3ヶ月分のお給料が全てなくなる金額のランプ。そんな高価なランプを手に入れるということを通して、葛藤の中ゴールディーは、自分の生き方に意味を見出します。
彼女が全身全霊を傾けてものを作る人だからこそわかる作り手の思い。そして同じように心を込めて作られたものを手にした時、そこにちゃんと作り手の思いが伝わっていることを知ります。そして自信を得て自分を肯定し、改めて前へ進んで行こうとするのです。
しょっちゅう心に思い浮かべ、似ていると感じるオームス。両親なき彼女の心の支えであったかもしれない彼にさえ、ゴールディーはおもねようとはしません。自分の心を曲げて安らぎを得ることではなく、孤独でも自分らしい道を選ぶのです。
そんな彼女の美しく信念のある生き方から、物を作るとは、仕事をするとは、生きるとはどういうことか、私たちは考えさせられます。
この本のすみずみにまで、ゴールディーの誠実さ、ひたむきさ、謙虚さ、信念、孤独、、、が染み渡っていて、抱きしめて頬ずりして、そして涙がこぼれるような、そんな切なく愛しい本です。けれど決して悲しくはなく、彼女の生き方に希望と勇気をもらえます。
最後のページに作者ゴフスタインの言葉が載っています。
「もし何かにひたむきに自分を捧げるものがなければ、その人生はつまらないものだと感じていました。、、、私が本の中で表現したいと思っていることは、自分が信じる素晴らしい何かを作り出すために黙々と働く人の美しさと尊さです。」
特別な仕事はできないけれど、日々の暮らしのひとつひとつに心を込めれば、ひたむきになれるのではないか、ゴールディーのように、そんなことを願いながら今日を生きていこうと思います。
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