今朝はとっても寒かったですね。外に出ると水たまりに氷が張ってました。いくつになってもそんな氷を見るとそーっと持ち上げて透かしてみたくなります。
物のあふれた現代の暮らしの中で、溺れるものがすがるように目覚める断捨離やお片づけ。先日の続きです。
江戸の知恵
手元に「大江戸えねるぎー事情」(石川英輔 著) という本があります。ずっと昔の、私たちが今より不便で劣っていたと考える江戸が、実は無駄のない省エネ都市として栄え、その当時の日本人がどんなに豊かな知恵と工夫で生きてきたか、現代と江戸時代の暮らしにかかるエネルギーを比較しながら書かれています。これがすっごく面白くて、心にしみて、わくわく熱くなりながら読みました。
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ずいぶん以前に買って何度か読み直した本です。この本によると江戸の人たちが劣っているどころか、ものすごく理にかなったシンプルで気持ちの良い暮らしをしていたようです。
いくつか本から拾ってみます。
例えば布、今でこそ工場でどんどん作られて、デザインされて美しい布が次々と出来てきますが、江戸時代に布を作る方法はただ一つ、糸をひき、染めて、織っていたわけです。下級武士の妻は寸暇を惜しんで糸をひいたり織ったりの内職をしていたようです。
一枚の着物になるまでにはそれはそれは大変な時間と労力がかかっていましたから着物は本当に大切に扱われました。手入れをしながら着て、娘や孫まで譲って着られ、最後は寝巻きになりおむつになりそして雑巾になるまでちゃんと使い切られました。江戸には古着や小さな布切れまで買い集める職業があったそうです。
紙もまたしかり、日本の紙はコウゾやミツマタで作られていて大変丈夫です。こちらも小さな紙くずまで集められました。用を足した後の紙も集められ古紙にされ、貧しい人の便所紙になったそうですからびっくりです。江戸の町にはきっと紙くず一つ落ちてなかったでしょうね。
下駄は鼻緒をすげかえ、歯も入れ替えて履き、いよいよはけなくなったら燃料に。さらにかまどで燃やした灰は貴重なアルカリ物質で肥料、製紙、酒造など様々な用途があり、これも買い集める商売があったそうです。
その他にも古くなった傘、破れた提灯、蝋燭を燃やした後の流れたろう、藁、馬糞、糞尿・・・本当に何から何までリサイクルされていたようです。
ため息が出るほど素敵です。気持ちいいです。自分の身の回りのすべてのものがとてもすっきりはっきりしていて、そんな世の中なら不安なく自信を持って生きられるのではないかしら・・・とそんなことまで感じました。
ミクロコスモスに生きる
本の一番最初に出てきますが、ミクロコスモス(小宇宙)の実験というのがあります。ガラス容器にに小魚と水草とバクテリアを入れ密閉します。すると閉鎖空間の中で水と太陽の熱エネルギーによって水草が光合成で酸素を発生、魚はその水草を食べ排泄、その排泄物がバクテリアの栄養となり、それが今度は水草の栄養になる。それらがうまくバランスを取り合えば世界を維持していけます。しかし一つ何かが狂うとみるみる水草は枯れ魚は死にます。
これはまさにこの地球の縮小版でして、わたしたちもミクロコスモスに生きているのです。江戸はこれがうまくまわっていた時代です。あるものだけでうまくまわり、また元へと帰っていく。エネルギーが形を変え循環しています。
けれど今の私たちの暮らしはとっくにこのサイクルが壊れていて、必死に餌を入れ、薬を入れ、増えすぎた排泄物や汚れを網ですくい、まるでバタバタ慌てふためきながら維持しているようです。
この本の発行が1993年になってますから、それから23年、ますます状況は悪化するばかりです。今さら電気のない暮らしには戻れないですし、未来を思うと暗澹たる気持ちになります。
日本人の心は健在
ここ何十年かでしょう、こんなにものが氾濫し使い捨てするようになったのは。だから逆にまだ日本人の血の中には、江戸の人たちと同じ、ものを活かしきる使い切る心が残っていると思います。そうでなければ、こんなにものの氾濫を憂える人がいるはずないです。断捨離がはやるはずないです。
エコ、ロハス、シンプルライフ、ミニマリスト等々いろいろありますが、それは呼び名が違うだけで新しいものではなくて、江戸もしくはそれ以前の学び直しです。ものがなければ当たり前にしていた暮らし。あ~江戸に暮らしたかったと嘆いてないで、少しずつでも江戸の知恵に学びながらシンプルに美しく生きたいものです。